2019年12月12日木曜日

芥川龍之介雑感 ー「光のない闇」をめぐって

 芥川の死は、"There is something in the darkness."から〈光のない闇〉への道程であった。〈闇〉とは〈光〉に対する相対的概念ではない。そこに〈光〉を想定することのできないもの、それこそが真の〈闇〉だといえる。埴谷雄高のいう〈絶対の大暗黒〉だ。それはそれ以外の何物でもなく、いわゆる〈存在〉を超越する〈存在〉なのである。その〈大暗黒〉に直面したとき、ひとの進む道は二つしかない。一切の肯定か、一切の否定か。神を、〈光〉を信じ、溝を飛び越えるか、さもなくば〈闇〉の中に我とわが身を沈め尽くすか--いうまでもなく芥川の場合は後者であった。芥川の〈闇〉こそ、日本の近代知識人が行き着いたギリギリの地点だったのである。

 芥川龍之介の行き着いた地点は〈光のない闇〉であった。芥川の行き着いたところから出発したといわれる太宰治の行き着いたところもまた〈罪のアント〉という、まさに芥川と同じ地点であった。ただ、芥川はその道をプラトニックな方向から上りつめ、太宰は〈信頼〉と〈裏切り〉という人間関係=倫理の側から上りつめたという位相の違いがあるだけだ。結局、芥川も太宰も〈神〉=〈光〉を信ずるか否かという地点で立ち止まり絶句してしまったといえる。その最後の地点から己の思考を、文学を出発させたのが埴谷雄高であった。カントの「純粋理性批判」を契機とする彼の道程はそれを明確にあとづけている。

 芥川の突き当たった〈光のない闇〉は、彼をして〈神よ、我を罰し給へ。怒り給ふことなかれ。恐らくは我滅びん〉と祈らせずにおられなかった。神を信じられない主人公がこのような祈りを告白せずにはいられなかったのはなぜか。
 
 この祈りをよく見るがよい。キリスト教において本来〈救い〉であるべき神は、芥川においては罰すべき神なのである。ただ神を信じられないというのではない。救いであるべき神を信じられないというのだ。わが身を罰すべき神の存在を彼は信じている。それこそ〈光のない闇〉そのものではないか。このような地点で立ち止まったとき、ひとは罰すべき神ではなく、救いである神を信ずる以外に生きる道はあるまい。しかし、それが出来ないからこそ、彼は立ち止まったのではないか。そのような彼に〈光〉を信じよと説くことは無意味なのだ。

 この進もうにも進まれない行き止まりは、私たちの出発点にほかならぬ。戦後とは〈光のない闇〉を〈闇〉そのものとして見据えていくことで、近代を乗り越えようとした時代といえる。そこに戦後知識人の究極の課題があるといえよう。

[筆者註]
この文章は、30年以上前にノートにメモしたものです。随所にうかがわれるのは桶谷秀昭氏の影響でしょうか。



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