2019年12月13日金曜日

芥川龍之介雑感 ー「ただぼんやりした不安」をめぐって

 加賀乙彦のいう〈言表不能の不安〉とはなにか。それは来るべき「新時代」への不安なのだろうか。それとも〈永遠に超えんとするもの〉と〈永遠に守らんとするもの〉とのはざまで苦悩する芥川自身に起因するものだろうか。あるいは、〈ただぼんやりした不安〉で、それ以上でもそれ以下でもないのだろうか。私にはそのいずれもが十分に納得し得るものではない。

 私の考えでは、芥川が「歯車」において、〈妄想知覚〉の描写の裏に隠している〈言表不能の不安〉とは、〈光のない闇〉に直面した者の抱く自己の存在に対する〈不安〉であった。それは自分を無化する者(神)への〈不安〉であった。いや、〈神〉といわずともよい。絶対的真理を信ずることが出来ない近代知識人存在としての〈言表不能の不安〉であった。絶対的真理を求めつつ、その存在を信ずることの出来ない近代日本のアポリアがここにある。

 それこそ〈光のない闇〉ではないか。そして、あらゆる絶対的真理への道がすべて西洋からの輸入品にほかならなかった日本の近代こそ、誠実に生きようとすればするほど、絶対的真理への渇望と不信を知識人の胸中に巻き起こさずにはいないのである。芥川の突き当たったアポリアもまた、その点にあると、私は思うのである。

 その壁を突き抜けるには、絶対的真理を無条件で信ずるか、あるいはすべてを拒否して〈異なった思惟形式〉を創造せんと努めるかしかあるまい。どちらにも進めないと悟ったとき〈ただぼんやりした不安〉が、芥川の自殺の原因になり得たのである。

[筆者註]
この文章も、30年以上前にノートにメモしたものです。ここには埴谷雄高の影響が見え隠れしていますね。

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